こんにちは、okeydon(桶井 道/おけいどん)です。
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自宅介護中に父がコロナに感染しました。家庭内感染ではなく、どこかでもらってきたようです。
1ヶ月にもおよぶ入院でしたが先日退院しました。コロナの後遺症はないようですが、体力や嚥下などが弱りました。一時は危ない状態になりましたが、退院できましたし、元の介護施設に戻れましたので、不幸中の幸いだったと思います。
父がまだ無症状のときに介護していた母にも移りました。
私も食事介助や歯磨き介助など父がマスクをしていないシーンでの介護をしたので移っただろうと思いました。
しかし! まさか! 私だけ逃げ切りました。もしくは、ポジティブ(陽性者)で無症状だった可能性はあります。
この記事では、コロナと戦った日々の記録を綴ります。
◆父はコロナ肺炎で中等症に
父の身体が熱く感じて、熱を計ると39度の発熱、パルスオキシメーターの測定値は93%だったので、救急車を呼びました。
数日前に誤嚥して受診したときに、もしも発熱があればすぐに救急車を呼ぶよう指導されており、この時点では誤嚥性肺炎だろうと推測しました。
ところが、あらゆる検査をした結果、「covid-19、コロナです」と言われました。そのときは相当驚きました。
父の介護施設ではコロナ患者はおらず、母も私も風邪の症状なしで、私に至っては締切間近の仕事が多くて自宅に缶詰でしたので、父がどこから貰ったのか見当がつきませんでした。
救急搬送先の大きな病院で、コロナ陽性との検査結果の説明を受けた後に、医者の一言から目の前を真っ暗にされました。
「搬送時は酸素吸入が必要でしたが、今は必要なく呼吸が安定しています。心臓病があり、難病もあり、高齢とはいえ、コロナは単なる風邪、普通の風邪やインフルエンザと同じなので、入院はできません」と医師。言い方!!!
介護施設からは、当然のこと、「コロナが治るまでは利用できません」との回答。
それを医師に伝えるも、入院はできないとの回答。
要介護5の父をがっつり介護した私や母も感染の可能性が高く、具合が悪くなるだろうことが見当つくなかで...
そして、母には呼吸器疾患があり、癌サバイバーでもあり感染するとリスクがあるなかで...
私にも持病があるなかで...
コロナになって高熱があり+自力でできることがほぼなく、心臓病や難病を持つ、高齢で要介護5の父を、自宅に連れて帰るよう言われたときのショックは相当なものでした。
しかも、父はついさっきまで呼吸が危うかったという事実があるなかで...その医師の「今」の「データ」だけを見ての判断を信じていいのでしょうか?
母は諦めかけていましたが、私は諦めませんでした。両親を守る、自分を守るためには、絶対に父を入院させねばなりません。連れて帰ると父も家族も絶対にまずい...
その救急医がダメと判断しても、他の救急医なら、または呼吸器内科医なら別の判断になるかもしれない。いろんな医師に話をしました。
すると、権限を持つ内科の医師が出てきてくださり、事情を説明すると、入院させてもらうことが叶いました。
父は、抗ウィルス薬「レムデシビル」を点滴投与され、みるみる回復。すぐに熱は下がり、肺炎も出ず、体調は安定しました。1週間で退院できるだろうとの予想でした。
...が、その後、急変して高熱、酸素濃度低下、痰が多いなどコロナ肺炎の症状になりました。治りつつあると見せかけて悪化する、これがコロナウィルスの怖いところです。
再度、レムデシビルを投与されたことで回復できました。父はレムデシビルとの相性が良いようです。
しかし、コロナで体力が弱り、嚥下の力も弱って食べられなくなり、入院は長引きました。嚥下が弱ったことから、軽度の誤嚥性肺炎にもなりました。退院まで1ヶ月ほど要しました。
振り返りますに...
もし、あのとき、あの救急医の「単なる風邪」発言に押されて自宅に帰らせていたら、苦しい思いをして亡くなっていたと思います。
医者ではなく、私の判断が正しかった。私は、「データ」や「電カル」しか見ない医者は以前から信用しません。
◆母も感染
父の発熱の翌日に母は咳をしはじめて、その翌日には発熱。だんだん増えていったほかの症状としては鼻水、たん、足のふらつき(特に夜トイレに立ち上がるときにバランスが取りづらかった)、食欲不振(食べる物を選べば食べれたのが幸いでした)でした。咳は途中で悪化しました。
発熱してすぐに発熱外来を手配しました。PCR検査は陰性でした。早すぎると陰性になることが多いそうです。数日後に再び発熱外来を手配して、抗原検査すると、やはり陽性でした。
お薬は、解熱剤(カロナール)、喉の炎症を抑える薬、咳止めが処方されました。
ただし、元から呼吸器疾患があるため、鼻水、たん、咳はどこからがコロナの症状なのかは不明です。が、他覚症状として見て、いつもとは違う感じでした。
◆私は無症状で逃げ切るも、両親のことで大変でした
私は、普段35度台後半の平熱のこともあるのですが、36.6度、36.7度、36.8度、36.9度と少しずつ体温が上がることに、目の前が真っ暗になりそうになりました。が、37度超えはせずに済みました。平熱です。
たびたび連絡が入る父の入院先との調整・ときに判断、介護施設との受け入れの調整、母の看病、家事(3食の用意、洗濯、最低限の掃除)、家の消毒や換気も回さねばなりませんので、忙しかったです。
体力よりも緊張状態が続くので先にメンタルがキツかったです。緊張して眠れないので、だんだんと体力にも影響しました。
それを助けてくれたのが、私の消化器内科の主治医でした。心配して、先生からの指示で、私と親しい看護師さんが電話してきてくださり、以前緊急時に備えて処方された頓服薬の服用などアドバイスをくださいました。
さらには、いつでも電話してきて良いと先生が言ってました、との伝言も。
これが大きかった! 私は1人じゃないんだ!と安心できたこともプラスに働きました。お陰様で疲労困憊だった私は回復できました。
◆感染していると見込んで動けるうちにやったこと
感染を覚悟して、元気なうちに、やったことは5つ。
その1 かかりつけ薬剤師さんに、アドバイスを仰ぎました。模範回答する人ではなく、突っ込んだ現実的なアドバイスをしてくださる方なので、とても頼りになります。この関係が私には心強い。
その2 ドラッグストアに行き、喉の炎症を抑えるトローチ、うがい薬、メアバランスを買いました。
その3 コンビニに4回行って、水、ポカリスウェット、おかゆ、インゼリー、シュークリーム、アイスクリーム、プリン、ゼリー、冷凍うどんなどを買い込みました。シュークリームやプリンは味よりも、出来るだけ日持ちす商品を選びました。
その4 水やポカリスウェット、インゼリー、メイバランスなどは、母と自分の部屋にそれぞれ並べました。
その5 父の感染が分かった時点で、私と母は別の部屋で生活。
(父の寝室、母の寝室にはそれぞれ非常ベルが常設)
あとは、普段から非常食、非常用飲料水、ゴミ袋、マスク、消毒用アルコール、介護用ビニール手袋などを備蓄している安心感がありました。
(たくさんの水を備蓄しています)
◆感想
今回は、とにかく、父を入院させられたことは良かったです。あのとき、あの医師の「単なる風邪」宣言を跳ね返して、入院交渉をした自分を褒めたい! 繰り返しますが、私は元から「データ」や「電カル」しか見ない医者は一切信用しません。
これも繰り返しになりますが、もし言われたままに父を帰宅させていたら、相当苦しませたうえで亡くならせていたことでしょう。ゾッとします。
ちなみに、交渉をするときに、論破する力は何の役にも立ちません。いえ、ビジネスでも日常でも、論破が役に立つシーンは皆無でしょう。論破がかっこいいとか思わないことです。丁寧な調整力、落とし所の探り方、響きそうな相手を見つける力(相手を変えるのは本当に大事。響かない相手にいくら言ってもほぼ無駄)、アサーティブな対応が大事です。
確かに、国がおこなった分類上、コロナは単なる風邪の一つですが、リアルに身近で体験した私にはそうは思えません。少なくとも、医師が、本人や家族に「直球」を投げて、不安に陥れたり、命を危うくすることはあってはならないと思います。
コロナは単なる風邪で終わる人もいるけど、重症化リスクのある呼吸器疾患と、改めて認識しました。
やはり、私は両親を見て絶対にコロナにはかかりたくないので、引き続き注意していきます。コロナに注意すれば、他の感染症対策にもなると思います。
そんなわけで、両親を守り抜いて、父が退院できて、ひとまずホッとしています。
同じように父を介護したのに、母には移り、私は移らなかった理由の推測、母から移されないためにした感染対策、私が日常的にする感染対策は、また後日の記事にて書きます。
皆さんも、健康にはお気をつけくださいね。
最後までお読みいただき有難うございます。今日も何事にも適温でまいりましょう。
しかし、あの医者だけには適温になれない、いまだに許せない私がいます。
彼は何のために医者を志したのでしょう。病気を治すこと、患者を助けること、家族を安心させること、ではなかったのでしょうか。危うく崖から突き落とされるところでした。
逆に、私の主治医がどれだけ人格者なのか、改めて感じています。普段より、コメディカルから、また外部の調剤薬局からも先生への尊敬や信頼を感じていますが、このエピソードに集約されていると思いました。
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